Win-Winって言葉があります。
どちらも勝者だと。私は、実はこの言葉があまり好きになれません。
この言葉の意味するところは分かりますし、そうありたいと思いますが、この表現方法がなぜか釈然としないのです。
そもそもWin/Loseは勝敗をつけるための勝負をして、その結果を表すものです。どちらかが勝者に、どちらかを敗者にするためにに勝負をします。この勝ち負けの表現があまり好きになれない原因です。
そもそも勝負というものは勝ち負けを決めるためにするものです。どちらも勝つためのものは勝負ではありません。どちらも勝者になる、という表現がWin-Winという表現な訳なので、なんだかおかしい気がするのです。
特に気になることは
1. 勝つと幸せになるという前提であれば、勝負をした時点で必ずどちらかが幸せになれないか、引き分けたら両方が幸せになれない。
2. そもそもの話として、勝負で勝った方が幸せになるとは限らない
ということです。
例えばスポーツを行った勝負をしたときに、勝ったり負けたりしますが、負けた方が不幸かというと、精一杯力を出し切った上でいい勝負ができたのであれば、幸せかもしれません。そうなんです。負けても幸せになれるんです。だから真剣に精一杯がんばって、Win-Loseをつけるべきだと思います。勝つために勝負に挑むわけです。相手に勝つために。相手を負かすために。そう出なかったら勝負ではありません。勝負をして勝ち負けをつけるということは、とてもいいことだと思います。
逆に戦争の場合では、勝った方が幸せかというと、勝った方も幸せではありません。(この場合は負けた方はさらに不幸になると思います)戦争という勝負はすること自体が人が不幸になるのです。
ということで、Win-Winという言葉は、どうしても勝負の概念が抜けないので、なんだか釈然としないので好きになれません。
それよりも、双方が幸せになるを表現するのであれば、「happy-happy」が一番いいと思います。そう、みんなで幸せになるために、共に行動する。Win-Winという言葉を使いたいときは、実は勝負がしたいときではないはずなのです。
もともとWin-Winという言葉が生まれたときは、一方が一方を打ち負かすだけが結果の出し方じゃないよ、ということを伝えるために、あえてこの言葉を使ったのかなとも思いますので、そうゆう意味ではすごく分かりやすくて、考えた人はすごいなとは思っていたりします。
とはいえ、目的はみんなで幸せになること。私も幸せになるけれど、周りの人、関係する人、さらに間接的に関係する人、みんなが幸せになれた方がいいんじゃないかな、ということで、やっぱり、happy-happyを目指したいと思います。
綺麗ごとですし、偽善的だと思います。でも、綺麗ごとでも、偽善でも、happy-happyを目的にするかしないかの、どちらを選んだ方がいいかといったら、やっぱりhappy-happyを目的にした方がいいと思うのです。昔、小学校のときに24時間テレビを見ていて、「こんなのテレビ局が視聴率をとるための偽善だよ」とつぶやいたら、母に「偽善でも誰かが幸せになるのであれば、この行動は立派なこと」と言われた記憶があります。それが今でも心に残っていたりするのかもしれません。
資本主義の世界では常に勝負が行われていると思います。Win-Winではなくて、Win-Loseのために競争をしているわけです。これが悪いことだとしたら、資本主義が成り立たなくなってしまいます。だからこそ、Win-LoseかつHappy-Happyが目指せる状態がいいと思うのです。
なんだかまとまらない文章になってしまいました。
こんなことを書きつつ、Win-Winって素晴らしいなって思わせてくれたスティーブン・コーヴィーの「7つの習慣」をご紹介。って紹介するまでもないくらい有名な本ですが。会社の朝の会議でも、読んだリーダーがエッセンスを紹介しています。
ついでに子供向け7つの習慣。元々の本はちょっと長いので。
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